理事長あいさつ
馬場病院が、ここ竹原市大井の地で診療を開始したのは、今から約120年前の1903年のことでした。当時21歳だった馬場 四郎は大阪医学校を出て兵役の後、郷里へ戻り農村医として開業しました。その後月日は流れ祖父、父の代を経て現在の病院(病床数80床、職員数180名余り)に至っております。
時代は高齢化社会を迎え慢性疾患を抱えた高齢者が増加していく昨今、医療資源にも限りがあります。地域包括ケアが叫ばれ、在宅医療の浸透も進むなか、地域の中小病院の役割も複雑多岐にわたっております。現在、私共は外来、入院診療のみならず、在宅医療、介護系サービス事業、地域コミュニィーでの各種取り組み(認知症カフェの開催、地域の方々との徘徊訓練等)を行っております。
今後も、高齢者の方にも優しい医療を行えるよう、予防医学、認知症ケアをはじめとした教育の充実や、患者さんに寄り添うべく、御家族やそのかかわりを持つ他職種との情報共有を密に行いきめの細かい医療を提供できるような取り組みを続けていく所存です。これからも、地域で愛される存在となれますよう、職員一丸となって頑張っていきたいと思いますので、どうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。
時代は高齢化社会を迎え慢性疾患を抱えた高齢者が増加していく昨今、医療資源にも限りがあります。地域包括ケアが叫ばれ、在宅医療の浸透も進むなか、地域の中小病院の役割も複雑多岐にわたっております。現在、私共は外来、入院診療のみならず、在宅医療、介護系サービス事業、地域コミュニィーでの各種取り組み(認知症カフェの開催、地域の方々との徘徊訓練等)を行っております。
今後も、高齢者の方にも優しい医療を行えるよう、予防医学、認知症ケアをはじめとした教育の充実や、患者さんに寄り添うべく、御家族やそのかかわりを持つ他職種との情報共有を密に行いきめの細かい医療を提供できるような取り組みを続けていく所存です。これからも、地域で愛される存在となれますよう、職員一丸となって頑張っていきたいと思いますので、どうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。
医療法人楽生会馬場病院 理事長 馬場 広
理念
あなたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取り戻されようか。
もはや何の役にも立たず、ただ外に捨てられて人々に踏みつけれるだけである。
もはや何の役にも立たず、ただ外に捨てられて人々に踏みつけれるだけである。
新約聖書 マタイ伝 5章13節
地域にとけてその役割をはたす。
院是
- 医療人として得た知識とワザを地域の医療、保健、福祉に奉仕の精神をもって還元させていただくことを我々の使命とします。
- 病める人の痛みを共有し、これを取り除くことに奉仕します。
- 病める人にいかなる時も豊かな感性をもって対応出来るように努力します。
- 病める人の為に仕事が出来る事誇りをもって働きます。
- 病める人に医療の基本を研修し更なる質の向上に喜びを見出します。
沿革
1903年(明治36) | 開業資金500円借入、大井の三好家の奥座敷で医院開業 |
1907年(明治40) | 住宅兼診察室建設し移転。 往診のため自転車を購入 |
1908年(明治41) | 診察室増築、第1病棟建造 |
1909年(明治42) | 第2病棟建造 |
1919年(大正8) | 第3・4病棟建造 |
1933年(昭和8) | 第2病棟改築・第5病棟建造 |
1934年(昭和9) | 医院から病院となる |
1967年(昭和42) | 2月馬場四郎死去(85歳) |
1970年(昭和45) | 馬場病院増改築 |
1990年(平成2) | 医療法人楽生会設立 |
1994年(平成6) | 訪問看護ステーション竹の子クラブ開設 |
1996年(平成8) | 通所リハビリテーション開設 |
1997年(平成9) | 馬場病院増改築(現在) 訪問看護ステーション竹の子ウエスト開設 |
1999年(平成11) | 楽生会居宅介護支援事業所開設 |
2000年(平成12) | ホームヘルプサービスステーション竹の子クラブ 開設 |
2010年(平成22) | 馬場アネックス新築 |
2011年(平成23) | デイサービス竹の子開設 |
2012年(平成24) | 訪問看護ステーション竹の子ウエストを訪問看護ステーション竹の子クラブへ統合 |